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コラム No.5

日本にTシャツが普及した歴史について

いまや生活の必需品となったTシャツですが、どのようにして日本に広まったのか、その歴史はご存知ですか?

Tシャツの起源はヨーロッパとされ、1960年代のプリント技術の発展や、アメリカのミュージシャンや映画俳優、ヒッピー文化などがきっかけで世界的に広く普及したと言われています。

今回の記事では、アメリカで普及したTシャツが、どのようにして日本へ普及していったのか、歴史を詳しく紹介します。

1.Tシャツが普及する前にも存在した綿素材の肌着

ヨーロッパで発祥したとされるTシャツですが、実は日本では、Tシャツが普及する以前の明治時代から、綿素材を使用した「メリヤス肌着」という衣服が存在していました。メリヤスとは、いまでいうニット(編み物)のことです。

メリヤス編みで編んだ生地は、肌着をはじめ靴下や帽子などの製品となり、当時の日本ではすべてメリヤスと呼ばれていました。伸縮性に優れたメリヤスは、基本肌着として着用していたため、アウターとして着る発想はまだありませんでした。

2.徐々に肌着をアウターとして認識し始めた1940年代

1940年代前半までは、メリヤス肌着をアウターとして着用することはありませんでした。

現在のように、アウターとしてのTシャツが着られるようになったのは戦後からです。終戦後、日本に留まったアメリカの進駐軍たちが胸ポケットの付いた肌着を着ている姿を日本人が目にします。日本人の目に留まったアメリカ軍の肌着こそ、当時アメリカで普及し始めた「Tシャツ」です。

アメリカ人兵士たちが着用していたTシャツは、日本のメリヤス肌着とは違い、胸部分にポケットが付き、生地も厚めに作られた頑丈なものでした。アメリカ人兵士の体格のよさも加わり、「Tシャツをアウターとして着用するかっこよさ」が、日本でも徐々にTシャツが認識されはじめたきっかけと考えられています。

3.日本でアウターとしてのTシャツが本格的に普及した戦後

日本で初めてアウターとしてTシャツが販売されるのは、アメリカで販売が開始してから約20年後のことです。1951年に石津商店(現在のVAN)から発売されたTシャツが、日本ではじめて発売されたアウターとしてTシャツと言われています。

ただ、当時はまだ男性用のTシャツのみの販売で、女性用のTシャツはそれから約10年後に他のメーカーから発売されたと言われています。

1950年代よりアメリカンカルチャーを取り入れていた石津商店は、日本のファッションデザイナーである石津謙介氏が大阪で創業した日本を代表するファッションブランドです。当時からTシャツに似たような服はありましたが、どれも肌着としての衣服でした。

石津氏は戦後、日本に居た進駐軍の兵隊たちが着ていた胸にポケットが付いたTシャツを目にして、「これならアウターとして使える」と考えてポケット付きのTシャツ作りを始めます。男性用のTシャツの前に子ども用のTシャツが売り出され、その後は大人でも着られるサイズのTシャツが完成します。

その後、VANはイエローブックシリーズというTシャツを出していて、それはアメリカのイエローページをプリントしたものでした。

1950年代は、ニュー・ルックや太陽族と呼ばれるファッションが大流行した時代であり、この時にはすでに男性用や女性用のボーダーTシャツが普及し、ファッション雑誌でも紹介されるほどになりました。また、当時世界的な大ヒットとなった映画の中の主人公が、革ジャンに合わせてTシャツを着るスタイルが話題となっています。

このようにして、Tシャツは現在にも続くファッションアイテムとして欠かせない存在となっていきました。

4.60年代~70年代のTシャツ普及

1960年代も、日本のTシャツ文化はアメリカの影響を受けます。

当時、プリント技術の発展にともないプリントTシャツの可能性が大きく広がりますした。アメリカでは、自由主義運動などに参加していた若者を中心に、自由の象徴としてTシャツが流行します。同じ頃、ヒッピー文化やサイケデリック文化を代表するバンドがアメリカに誕生し、そのバンドの音楽をこよなく愛する熱狂的なファンの間でバンドTシャツが浸透しました。

ちょうど同じ頃、日本でもアメリカ西海岸からやってきたロゴが印刷されたプリントTシャツが流行します。いわゆる「西海岸カルチャーブーム」です。西海岸カルチャーを紹介する雑誌の影響もあり、サーフィン系ブランドのロゴTシャツが大流行。70年代は、メディアの発信力によってブームが加速した年代となりました。

5.80年代から現在にかけてのTシャツ普及

80年代当初、アメリカからの並行輸入品が販売されていましたが、今では考えられないほどの円安がゆえ、高額なコストを削減する必要がでてきます。そこで、日本のアパレルメーカーは、ついに国産プリントTシャツの生産をコストの低い中国で始めました。

また世間では、ファッションとしてのTシャツから、スポーツで着るためのTシャツとして存在を変えます。男性のみならず、女性の多くもTシャツをアウターとして着用するようになりました。

90年代に入ると、世界的に有名なアパレルブランドが次々にTシャツを採用したスタイルを提案し、プライベートはもちろん、ビジネスシーンにもTシャツが取り入れられるようになります。

同時期、バブル崩壊をきっかけに派手さが顕著だった80年代の色が薄れ、カジュアルやストリート系のTシャツが流行しました。また95年〜99年ごろ、若者の間で「チビT」と呼ばれるサイズが小さめのTシャツも流行しています。

Tシャツの大量生産により価格競争が激しさを増した時期はあったものの、最近は1990年代のバンドTシャツの人気が再燃したこともあり、単なるファッションアイテムではなくデザインに込められた思いを重視したTシャツの人気が高まっています。

6.まとめ

いかがでしょうか。日本におけるTシャツ普及の歴史をご紹介してきました。

日本国内の文化や時代背景のみならず、アメリカの影響も色濃く受けながら、Tシャツ普及の歴史が刻まれてきたことがわかります。

プリズマでは、オリジナルTシャツの制作を随時承っています。
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