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帆前掛け

帆前掛けの歴史は室町時代にまでさかのぼると聞きました。そんなに古くからあるものだとは知りませんでしたが昭和の子供のころにに酒屋とか米屋とかが実際に着用していたのを覚えています。当時はエプロン全般を普通に前掛けと呼んでいました。

帆前掛けの歴史

正面画像

帆前掛けは1940年末頃に豊橋特産として知られるようになります。酒屋、米穀店、醤油や味噌の製造会社など多くの商店や会社での作業着や宣宣伝広告媒体としてかつて広くいきわたっていました。1950年代後半には「一番」と染め抜かれた帆前掛けをアメリカに輸出していた時期もありました。前掛け自体の起源は室町時代といわれていますがこのころは無地が主体で、屋号等を入れるようになったのは明治時代からとされています。このころ化学染料はまだ発明されておらず大量生産に対応することが不可能でした。戦後、化学染料の硫化染料が発明され、大量生産が可能になり豊橋での帆前掛け生産は飛躍的に発展することになります。帆前掛け生産の最盛期とされる1950年代後半から1960年代にかけては豊橋に50社余りの帆前掛け工場があったといわれ、年間300万枚が生産されていました。しかし、1960年代後半には受注は徐々に縮小しはじめ1970年代にはいると生産数は激減することになります。失速の要因の一つはテレビの普及だといわれています。販促ツールとしての立場をテレビに奪われたということになります。現在オーセンティックな帆前掛けの生産は年間20万枚と最盛期とは比較にならないものの生産工場の減少から生産が追い付かない状態であるとも言われています。

帆前掛けの製造工程

腰ひも

帆前掛けの初期にはガラ紡糸が使用されていました。ガラ紡糸は当時裁断屑、糸屑、古着などを綿にリサイクルした反毛綿を原料としており、綿花を原料にする綿紡糸の1/3ほどの価格であったとされています。この低価格が大量受注の要因にもなりました。その後このガラ紡糸生産の減少もあって前掛け受注の減少につながっていき、1998年頃にはガラ紡糸帆前掛けの終焉を迎えます。現在の帆前掛けの生地は木綿の紡績糸や面とレーヨンの混紡等が使用されています。帆前掛けと硫化染料は切っても切れない関係ですが当時の硫化染料では生地の脆化が早く、また鮮やかな染色ができないことや排水処理問題等もあり次第に使用されなくなっていきますが、近年脆化防止剤等の開発され、伝統の本染め帆前掛けは個性的なデザイン性からも復活を遂げています。。

帆前掛けの製造工程2(硫化染による防染)

帆前掛けのプリント部分は防染という手法で成り立っています。防染は防いで染めるという意味の通り切り型を用いて防染糊を生地にプリントし、直後に砂をふりまけます。防染糊の上には砂を振りかける手法がユニークですがこののち硫化染料での浸染を行います。防染糊が施された部分が染まらないのが防染です。硫化染料の染色は藍染と同じように染液に浸した後空気酸化や水酸化を行い発色させます。その後防染糊と硫黄分を完全に取り除くため念入りにに洗浄が行われます。最後の工程として天日干しや室内での自然乾燥が行われ裁断やポケットや紐付けを終えて完成です。

弊社で制作する帆前掛けについて

フリンジ

本格的な帆前掛けは硫化染料を使用し防染という染色方法で染抜かれたものです。紺生地に白インクをプリントするのではなく、白い生地に防染糊を印刷し、染色、水洗を経て縫製が行われます。弊社で作成可能な帆前掛けはそのような本格的なものとは異なります。予め出来上がった既成の帆前掛けにラバープリントを行って制作します。本物には程遠いかもわかりませんが短時間、低価格で仕上げることが可能です。